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アーサービナードさん(Arthur Binard) の講演会 [セミナー、他の料理教室]

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息子の学校で、詩人、翻訳家のアーサービナードさん(Arthur Binard )の講演会がありました。

朝日新聞では、著名人を日本各地の小中高学校へ教師、講師として定期的に派遣してその様子を記事にしています。 Arthurさんもその一人で、私は「アメリカ人なのに、日本語の詩人だなんてすごいなあ!」と思いながら、いつも記事を読んでいましたので、今回は意気込んで見に、聞きに行ってきました。

彼がかもし出す雰囲気や、話し方は まるで控えめな日本人のようで、講演の後には、「なんて繊細で温かい人なんでしょう、彼は菜食家に違いない!」と思い、すっかりファンになってしまいました。

話の内容はとてもおもしろかったです。

日本語を学ぶことで、気がついたり発見したことを 面白おかしく、かつ辛らつにお話して、私は何度も声を出して笑ってしまいました。

彼は大人になってから外国語を学んだので、新聞に出てくるような言葉は丁寧に辞書を調べながら学んでいったのだと思います。 小さい頃から日本の教育を受けて育った者には気がつかないような変な言葉の使われ方の例や、言葉や表現が感性や文化まで含んでいることを、いくつかのキーワードを用意して説明してくれました。

「寒い」、「冷たい」と「Cold」の対比、「ランドセル」という言葉の不可解さ、面白さ、「Native」と「Nature」の関連性、政治的意味合いで使われる「泥沼」と「勃発」という言葉のずるさを含んだ間違った使われ方など、、、。

私は以前シンガポールで日本語を教えていたので、学ぶ側と教える側の違いはあるものの、そうだろうなと相槌を打って聞ける部分もありましたし、「へ~、そうなんだ!」と初めて気がついたこともありました。 たとえば英語では両方とも「Cold」で表現されてしまう、「寒い」と「冷たい」、アーサーさんは「寒い」は体全体で感じるもの、「冷たい」は、指や舌などの体の一部分で感じるものと解釈しているそうですが、私は「寒い」は体が感じる「Cold」を表す言葉で、「冷たい」は自分以外の物の「Cold」さを表す言葉という説明をしていたのを思い出しました。 その違いを再び思い巡らせ、アーサーさんのような説明の方がより明確だったろうなと思いました。 熱帯の国で季節や寒さ、暖かさを教えるのは、容易ではありません。 想像の世界ですから、、、。

ビナードさんには 平和な世界を子供たちにもたらしてあげたいとの強い思いがあり、それを 彼は言葉という手段で伝えていっているのだという内容のお話を最後にされていたのが印象的でした。

読んでみたいなと思ったArthur Binardさんの翻訳本です。

はじまりの日

キンコンカンせんそう (講談社の翻訳絵本)

 

 

 

 

 

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